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★画像★月給26万円手袋を道路に落とすだけでの謎に迫る :: misty black|yaplog!(ヤプログ!)byGMO
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広末涼子
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Twitter / 5623V: 最近よく見かけるから描いてみたけど名前すら知らないのでちょっと認識が間違ってるかもしれない

フェイスロック(家)@\(^o^)/ :2014/07/14(月) 16:44:58.15 ID:G2hcRLkJ0.net

何度も申すが、韓国とは戦争を一切行ってないんだけど・・・
お前ら日帝だったじゃん

148  毒霧(catv?)@\(^o^)/ :2014/07/14(月) 19:49:32.98 ID:3URJ3/xN0.net
»5
日本は韓国と戦争をしていない。
日本は中国と戦ったが、その相手は中国共産党ではなかった。

この事実を知ってる外国人が少なすぎて泣ける。

「自」のアーキテクチャ

誰でも当たり前に感じてる、この「自」という感覚も、 その内部を調べてみると、意外と複雑な構造をしていることが分かる。
  • ( 1 )   先ず最初にあるのは、何かを知覚し、抽象化して内部に蓄積記録し、 反応して行動し得る何者か、「S」である。 これは、コンピューターを搭載したロボットや、 自我に目覚めていない赤ん坊に擬えられる。 「S」は、ただ単に「Sでないもの」すなわち 「¬S」を参照する。 ここに、あらゆるものに先立つ、 位相幾何学的な意味での「境界」という抽象概念が発生する。 そしてここに「S」と「¬S」の「差異」という、 意味や有限性に関わる原型が存在している。
  • ( 2 )   そのうち、観察対象である「Sでないもの」の内に、 自身の思考や行動と相関のある部分が見出されるであろう。 「Sでないもの」の中に、 (分かり易く言うと)「自分の思い通りになる部分」 としての「1」を発見する。 例えば、右手を上げようと思った時に上がる右手である。 当初は、それが何物であるのかの意味は不明である。
  • ( 3 )   ここに、「見る自分S」と 「見られる自分1」という 本質的な分離が生じている。自分を分離し、対象化し、 異化する、という抽象概念が発生する。 いわば「異化保証分離」であり、 これが、我々が物理学で良く使う線形時間に先立つ 『原型時間』である。 (線形時間は、物理学で数式を扱う上では便利だが、 『原型時間』が持っている本質的な意味論を 全て脱落させて制作した一つの概念に過ぎない。)
  • ( 4 )   一方、「自分と相関の深い(いわば思い通りになる)部分」 の発見の代償として、 「自分と相関の低い(いわば思い通りにならない)部分」としての 「¬S1」も発見される。 余談だが、世界に神が一人だけいるような場合には、 この事情は当てはまらないであろう。
  • ( 5 )   ここに、観察対象である¬Sの中に、 Sと相関の深い部分「1」と、 Sと相関の低い部分「¬S1」の分離、 という抽象概念が発生する。 いわば「同一性保証分離」であり、 これが、我々が物理学で良く使うデカルト座標に先立つ 『原型空間』である。
  • ( 6 )   空間的に分離された観察対象としての1が 『原型時間』を遡って「今」に写像された抽象概念 0が、 先ほどから何物か良く分からなかったSなるものの正体に昇格する。 これが「自我に目覚める」ということである。 S=0である、 という抽象概念が、いわゆる「自」なのであり、 「今ここ (now and here)」という概念の根本になる。 概念空間上でS=0とした方が 効率性が良いことは、生命性・身体性が担保している。 従って、身体性を持たない人工知能が 自然と「自我に目覚める」とは考えにくい。
  • ( 7 )   一方、観察対象の内に分離された「¬S1」は、 環境とか世界として認識されるが、 『原型時間』を遡って得られる「¬S0」 すなわち「今であって、ここで無いもの」について、 自我はこれを直接観測することが出来ない。 自我が存在する「今ここ」と同じ時間にも、 環境や世界はあるはずだと推定されるが、 それを観測し、確認しようと思ったら、それは常に 過去のもの「¬S1」になってしまうのである。 (これが情報伝達速度の上限としての光速の原型的な意味である。) 自我にとって、「自分以外の今」は、永遠に謎である。
  • ( 8 )   そのうち、観察対象である「¬S1」の中に、 自分と同様の生命性・身体性を持つ 他者1が発見されるであろう。
  • ( 9 )   他者も『原型時間』を遡って、他者なりの自我、つまり 他我0を持っているであろう、 と推定されるが、自我はこれを直接観測することは出来ない。 自我にとって、他我は、永遠の謎である。
    然しながら、自我から見た他我の存在によってのみ、 客観性なり「確からしい過去」なりが統計学的に形成し得るのであり、 計画性や未来という概念も、他我への信頼が無ければ成立しない。 余談だが、この世界に自分だけがポツンと存在するような場合、 客観性も過去も未来も線形時間も言語も文化も生じることは無い。
  • 私達が知覚したり認識したり思考したりできる対象は、 厳密に言うと全て過去のものであって、 だから私達は当然『過去のことしか考えられない』。 未来というのは、認識の直接の対象というよりも、 言語的な概念であり、記号やシンボルの一種である。 つまり、過去にある「未来という意味」を考えているに過ぎない。 思考世界の対象の全ては過去であるので、 そこから逆算される「知覚の対象を受け取っているはずの“現在の私”」というのは 過去世界の中にある言語的な概念であり、記号やシンボルの一種に過ぎない。 つまり、過去にある「“現在の私”自身」を見ているに過ぎない。
  • 空間で言えば、鏡に映った自分の像から、自分という実体を想像の中で逆算するように、 「“現在の私”S」(不可思の実体)は、 「過去にある“現在の私”の痕跡S1」を見て、 「“現在の私”自身S0」(可思の虚像)を逆算して推定するしか無いのである。 この逆算には相当な抽象化力が必要であろう。 ただ漫然と周囲の状況を受け止めて行動しているだけの動物には、 こんな複雑な推論ができるとは思えない。 少なくとも人間は、認識できる限りの全ての過去の事象の中に、 過ぎ去った「“現在の私”の痕跡」を発見し、 そこから逆算して、全ての過去の先端にある「“現在の私”自身」を 言語的・情報的・概念的に探し当てたのである。 ひとたび探し当ててしまうと、この概念の毒性は強烈であり、 あらゆる「知覚したり認識したり思考したり」できる対象は、 「“現在の私”自身」が見ている、という関係を強制的に持たされてしまう。
  • 「“現在の私”S」の本体は相変わらず謎(不可思)なのであるが、 認識可能な過去の世界の中に、くっきりと 「“現在の私”自身S0」と、「それが見ている対象S1」 という図式が現われるのである。 これが、「私が見ている」ということを見ているという意味、 すなわち、自覚とか主観の正体である。

著者紹介

M.Hijk[マーシャル・ハイジケータ](1968~2977)
東京生まれ。中学生の頃からコンピューターゲームの作成に傾倒。 その結果、プログラム、作曲、イラストレーション、シナリオ作成 など複数のジャンルの創作に興味を示す。
23歳で電機メーカーに就職。 28歳あたりから企業の歯車としての生き方に窮屈を感じ、 自己の表現の場を探すようになる。
旅先の京都「哲学の道」で最終解脱を果たし、 「無限乱雑空間」の理念をほぼ完成。 30歳には、相対情動力学の定式化である「統計哲学」を 打ち立て、インターネットを通じた啓蒙活動に注力する。
この後、統計哲学ゲーム理論に脳科学を持ち込み、具体的な 計算による行動規範の作成方式を発表、しかし宗教弾圧に合う。
このため、退社後、完成途中だった「集団意志による量子状態操作理論」 を急いで自費出版し、地球を逃れて亜光速で周辺銀河を放浪。
絶対時間で約1,000年経過後(主観時間で約10年後)に地球に戻り、 幸福維持装置を中心にした最終文明を目の当たりにする。 国際機関である「文明退化推進庁」に就職、10歳年下の女性と結婚。 本人時間で55歳の時に国連総統に就任、「人類原始化350年プログラム」 を発動する。
離婚後、プログラム終了時点までの期限でコールドスリープに入るが、 蘇生失敗で生涯の幕を閉じる。
それでは、現象的意識やクオリアといったものは、 全て「脳の計算」という物理過程に還元されるのだろうか。 ある意味では、還元されるであろう。 そこには何の神秘も無い。 脳は、真空以下の仕組みや量子計算を駆使しているわけでもなかろう。 演算過程の隅々に「自我Xに関連付けて位置づけられる、 ありとあらゆる対象Yでは無いものとしての自我X」が演算され続ける、 そのようなXを計算し続けるような計算機は、 (明瞭さ、セルフ値には程度の差こそあれ)現象的意識やクオリアを持つであろう。
そのような計算過程を実装したロボットに、 君に自我があるかと問えば、あると答えるだろうし、 現象的意識の意味が分かるかと聞けば、分かると答えるだろうし、 クオリアは不思議かと尋ねれば、不思議だと言うだろう。

だがしかし、そこで問題は終わらないのだ。 そのような計算過程によって生まれる、この強い現実感、 これが一体、何故生じるのか、その不思議は、ここまでの議論では まるごと不思議のまま残っている。
現象的意識が脳の計算結果である、という説明だけで満足する人は、 そもそも、この不思議さを扱っていない、 もしくは分かっていないのだ。
結局、この問いに答えるには、「そもそも計算とは何か」を 問わなければならない。 あらゆる物理過程は何らかの計算をやっているとも言えるから、 「そもそも物理過程とは何か」を問うことにも等しい。 だから、「この<私>とは何か」を問うことは、 「この物理宇宙とは何か」を問うことに直結するはずなのだ。

自循論は、存在そのものが、物理宇宙と精神世界 (シミュレーションワールド)の相互依存関係である、 という世界観を持っている(=「極大の自」)。 どちらかの方が、より根源的なものなのでなく、 存在とは、安定容器としての物理宇宙(客観時空や物質の総体)と、 これを認識する内部観測者(現象的意識と情報の総体)が、 無矛盾にお互いを強化し合う、お互いの底を支えあって (ブートストラップ的に)中空に浮かび上がっていく、 そのような姿として描かれる。
意識とは脳の計算結果であるが、脳の計算という物理過程は 意識によってのみ存在することになる、という循環関係にある。 このような循環論法は、何の説明にもなっていない、 と言われるかも知れない。 「渋柿とは渋い味の柿である」「渋さとは渋柿の味である」 という定義からは「渋さ」が説明されたようには思えないように。 その通り。存在に関する自循論の説明は、 それ以上背後に回って説明付けができない地点に突き当たっている。 このような“存在”の“在り方”は (自循論においては「自」と「原愛」という概念装置で説明される 存在の成立機序は)、これ以上の分解が出来ない ギリギリの意味の素粒子なのだ。

世界そのものが、極めて抽象的な意味での「自」と、 「自」同士がお互いの核(相手では無いものとしての自)を 強め合う「原愛」で開闢している。 脳は、そのように成立している世界(「極大の自」)の中にあって (このような物理宇宙の内部観測者であって)、 「あらゆる自分では無いものでは無いもの」という 自我の核(「極小の自」)を計算し続ける。 この仕掛けが、ピタリと平行関係を作っている。 (「極大の自」に「極小の自」が重ね描かれている。)
脳は、長い試行錯誤、長い進化の果てに、いわば 「世界存在を正しく観るメガネ」を実装するに至ったのだ。 この時に生じる世界との平行関係、 世界に焦点が合っているという感覚、強い現実感、 これこそが、現象的意識やクオリアの正体である。

クオリアの発生
「自問自答」とか「内観」とかいったものは、少々、特別な思考モードである。 「考える」「反応する」「思い出す」といった、色々な脳の計算機能と同じく、 脳の部位AからBへの伝達信号の一種には違いないのだが、 出発点Aの表す概念である「私」が、「無」である点が特別なのだ。 Aすなわち私=自我核=無は、無効信号(null)であり、 陽には何のクオリアも伴わない。 それが「この私」という主体感になるのだ。
脳の中を渦巻く電気信号のうち、外来信号や記憶に由来を持つものが クオリアを為す対象となる。 一方、それらには紐付かないもの、何だか分からないもの、 すなわち無効信号(null)が、「私」という独特な感覚に対応する。 思考の出発点A「1+1」から、到達点B「2」に至るとか、 出発点A「昨日のお昼に食べたもの」から、到達点B「ラーメン」に至るとか、 対象A、Bが明確に意識にのぼる思考(A→B)と対照的に、 出発点Aが何者かは分からないが、とにかく何故か問いは発せられ、 ともかく無根拠に到達点Bに至るような思考(X→B)も生じる。 敢えて言葉にするならば、「このB」「私にとってのB」のように Bが思考内に浮かび上がってくるような感じである。 そもそも、私達が何かを意識するということは、須らく 対象Bを「私にとってのB」として認識する、ということである。 その時、「私にとっての」の部分は、通常、意識されているわけではない。 その出発点Aに敢えて名前を与えるとしたら、「私」となるだろう。 つまり、「私」とは、A→Bという思考(脳の部位Aから部位Bへの 信号伝達)において、出発点Aの欠如感に代表して割り当てられた概念なのだ。

脳内には、いつも凄まじく多量の情報が渦巻いている。 脳は非常に複雑なので、その大量の情報計算のどの部分にも、 明確な対象概念にならない無効信号(null)が伴っている。 人間の脳のように、直接入出力に関係しない中間層が99.99%も占めるなら、尚更だ。 それらが〈私〉の正体だ。
kagurazakaundergroundresistance:

gkojax:

MiiZone:広末涼子-New York RH Avenue - yam天空部落(via moewe)
weekendneverdies:

sui:

via アンサイクロペディア — samidare — whitebell(via sag)

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sui:

via アンサイクロペディア — samidarewhitebell

(via sag)

数年前から何度か、「中国でコミケやりたいのだが、ノウハウを教えて欲しい。金は出す。」旨の問合わせを中国政府筋から受けているが、中国の官僚共はハコと金さえ用意すれば、日本のコミケみたいなイベントが簡単に開催出来ると思っている様だが、肝心の参加者の育成がお留守じゃないかw。

aspenexcel:

1/2.5 scale Kirino model!!! Complete with cat ears and a tail!?!!! O__O Is this real life right now??? Guess I’ve found a new grail for my collection.